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なんで職場をかえるんだ?

医師になって14年目なのだが、最長の勤務地は、京都の大学病院での5年だ。この時は、大学院生(週4日程)の4年を含むし、働く場としては、手術室で心臓麻酔などをしていた3年と集中治療室の2年に分けてもいいから、勤続としての最長は、卒後8~10年目の京都の北部での3年となる。

だから、私の30代での居住地の変更はひどくて、今8歳の息子は、人生で5回の引っ越しを経験した。

本心では引っ越しも働く場の変更もしたくない。ひとところでしっかりとした人間関係を築き、安定した生活を送りたい。そうでないと、安定した創造的でためになる仕事ができないと思っている。

さらに、勤務地が変わる人は働き方に問題があったり人間関係の構築がうまくなかったり、長く働けない理由があるだろうと推測するのは、うがった見方だと切り捨てられまい。

私の場合、それぞれの移動には、それなりの上司のすすめやお導きのようなものと、現状への不満や向上心、そして、上のような引っ越しや移動に対する抵抗感との間での葛藤があり、最後には「えいや」と決めることになっている。この一連の過程での家族の支えがとっても大きいのだが、移動の決断の部分は、やはり内面的な要素が強く影響すると言っていい。

個別にはなかなか書きづらい面もあるけれど、たとえば、留学については、大学院を卒業し、1年たったころ、ちょうど、二次出張といって、私の場合、京都の北部の病院へ出向となったが、私のキーとなる上司と上司であった数人がみな、その出向の後は留学した方がいいと言ったし、時期はのがすべきではないと言った。留学先は自分で探すようにと言われ、費用も原則的には自分で何とかするように、しかし、時期を逃すと腰が重くなり海外へは行けなくなるから、ぎりぎり最後の時期が近づいていた。一方で、臨床の現場でのやりがいとかさまざまな「今」が、とても重要であり、留学などに行きこの現場を去ることがあまり喜ばしいこととは本心では思われなかった。そんな中で、ややぶらぶらとした気持ちで留学先を探していたが、ベルギーの集中治療の著名人に、留学の可否について打診をするチャンスがうまれ、留学が許可されたので、そこからは、自動的な留学への作業が進んでいった。キーとなったのは、留学の可否を打診するチャンスが巡ってきたことで、このチャンスを与えてくださった数名の国内での先生方に、感謝してもしきれない。(私の場合、数十通の打診メールを送るような作業はしておらず、部署としてはたったの2か所だけだった。)

別の話で、熱に乗じて移動したいと進言し上司に止められたことも数度あるが、そこにも何らかの先輩方の示唆のようなものがあったのかもしれない。また、どうしてもお受けしたくないとか、本意ではないために移動しないという決断をしたこともあったかもしれない。

つまり、より良き選択とチャンスをくださった先輩先生方に恥じない生き方をする、それが重要と思わされる。自分の能力とか才能は限られているけれど、それでもできる部分でしっかりと仕事をする。それしかない。

なぜ、移動するのかの問いに答えることは、個別には可能だが総論としては不可能だ。ただ、移動を繰り返す中で、私が気づくに至ったことは、移動のきっかけになった人との関係を大事にするということかもしれない。移動するのは大変だからこそ、移動をさせようとしてくださる先輩先生方がいなければ、今の自分はない、そう思う。

by khosok | 2017-07-23 08:05 | Trackback | Comments(0)

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