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身分の固定をほどくこと

あらゆる世代の個人に均等な機会が与えられていることが、社会全体に活気を与え、個人に生き生きとしたやりがいをもたらすのだ、こういう発想が何となく身に染みてきた。

ベルギーにも身分があって手厚い社会保障があるので、いわゆる楽して生きるようなことがまかり通っているようだ。年金や失業保険、養育援助で生きる人がいる、働く必要がないから働かない。一度手に入れたそうした安住できる身分を手放さない。当然こうした過去の施策は改変を迫られるが抵抗勢力により骨抜きになる。


僕が医師として就労を始めた10数年前、すこし上の先輩が教えてくれた;上司が変わらないからポジションがあかず、やりたいこと、あるいはやるべきことが実践できない。年金支給年齢の上昇で、幹部クラスの退職年齢が上がることがそれに拍車をかける。ポジションがあくまで、どこかに行って武者修行でもしておいで、といってもパイの増えない業界には、可能性の場も乏しいのだ。そうして鬱屈した40歳前後のエネルギーが偏狭な発散の仕方をすることを見てきた。

最近、経済・社会の言論に興味を持ち、乱読している。そして、勉強を進めると、医者労働市場の閉塞の原因はいとも簡単に説明できた。身分の固定が原因なのだ。確かに、医者の場合は、医師免許を保持することが身分を規定する。医者という身分を社会からすれば問題視するかもしれないが、医者の給与水準を決めたのは社会の側(医者の側からのパワハラを解除できない側)なので、医者の身分とそれに付随した高給を社会の側から問題視するのはおかしい。そもそも、医者のように修練期間が異常に長い身分が社会に解放されずらい構造は本質的に仕方がない。日本の場合、大卒者の編入制度使っても最低給与が発生するまで4年の期間が必要で(それでも短くなったものなのだが)、実働可能となるまでそこから最低2年、専門医レベルの技能を持つまでさらにプラス4、5年が必要である。このような身分を開放するには、フランスのように医学生や研修医に豊富な奨学金をだすことだが、日本ではそれ程進んでいないと思う。

僕が問題とするのは医者労働市場の内部の閉塞感だ。これはその内部にさまざまな身分が設定されていることが原因だと思う。大病院の部長ポストや教授を筆頭とするアカデミアポジションなどである。同時に医師の給与はほぼ年功序列で規定されており、大した市場原理が働いていない。少なくとも一般の医者には、能力給という概念は適応されない。能力が高いため早く帰宅する医者より、理由を問わず残務している医師の方が収入は多い。給与ベースが固定的で、権力や身分が固定化され新陳代謝が悪くなった組織は必ず腐敗する。世代を問わず、組織に参入できるチャンスを均等に割り振る努力がされている組織が、いつまでも活力を持ち続けるのだ。

医者の労働市場はその閉塞の逃げ口を開業という自営業者への転向で発散してきたが、労働市場は単に人材の多様性を減らした。ガラパゴスが残る構図だ。

身分が固定化されていない社会の方が、人々のやる気が出る。もう一回やり直そうと思える。内部にも緊張感が生まれる。さまざまな経験を経た中年者が組織に1年目で来ることも強い刺激になる。

現在専門医制度が改訂される直前である。僕も現在麻酔科指導医、集中治療専門医であるが、きちっとレールに数年乗らないと取得できない。労働現場での人質期間とのトレードオフで資格を取るような構図になっている。修練に期間が必要なことは理解できるが、もうすこし途中参入の自由度が高い専門医制度でいいように思う。内科であっても途中から集中治療専門医であり、職業人生の後半は、それらの知識を総合的に生かしながら総合診療医へ移行して、などということが今以上に自由であれば、医師のポジションにもやや活力が生まれるのではないか。

具体的には
1.クレジット制にして、別の地域でとったクレジットも自由に使える(現場の裁量ではなく、制度化する)
2.何年も前にとったクレジットであっても制限付きで認める
3.オーバーラップするクレジットを設けて専門医間の移行を容易にする
4.その代わりにリフレッシュ講習などにより中年復活を促す対策を講じる
などが思いつく。こういうことで、5年以上産休を取った多産女性医師の機会も均等化されると思う。

それでも残る問題は、年功序列の組織形態と給与体制である。

by khosok | 2015-04-16 15:31 | Trackback | Comments(0)

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