氷の暗喩

ひとはみないろいろ考えてるけれど、周りに見えている部分ってのは、ほんの一部だ。まるで、氷山の一角のようなものだ。

思いを言葉にできる度合は、ひとそれぞれ異なっている。体で表現できるものも、多い人もいるし、思いとは全く逆な体表現をしてしまう人もいる。表情は、結構、正直だといわれるが、それを他人が読み取ってくれる度合に差がある。

他人は、きわめて気まぐれで、興味のある人は、海面を潜ってまで、氷の形を確かめようともする。しかし、興味のない対象には、氷山の一角をみてよけていくような態度となるし、そもそも、そういう海域に入らないと、氷山をみることさえない。

そして、氷はとける。人生とは、氷がそこに存在したあとを全く気付かせることなく周囲に溶け込むかのようになくなるような、人が死んだのちには無になるそんな危うい実態なのだ。氷山は、タイタニックを沈めたという忌まわしき記憶として、人々に記録されているだけであって、その実際の氷山の実体は、今頃とうに海水に置換されて、仮にそこに同じような氷山があったとしても、また異なる実体として再生したまでのことだと容易に納得できる。

バーでwhiskyによって驚異的な美しさでその表面だけを磨かれるようにして周囲と一体となりながらとろけてしまわないように、ちいさなグラスにきっちりと収まって、けっして割れたりグラスから転げ落ちることなくそこに存在する強い意志をもって、しかし一時琥珀色の液体をまといしまいに流しの中で水となる宿命を秘めた、丸く削られた氷が、われわれの人生なのだ。

「全身麻酔の魁ー高嶺徳明(松本順司)」をよんだ。華岡青洲より前のことを知らなかった。麻酔科医として、恥ずかしい。一杯のシングルモルトのように、一冊一冊の著作から、その深みのようなところに、近づきたい。その衝動的な行いも、しかし、氷が溶けてなくなることを、受け入れなければ、ただの苦悩になるけれど。

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by khosok | 2017-02-04 08:14 | Comments(0)