快楽から遠ざかることによる安楽

快楽は、束縛になり、苦痛になる。
たばこを吸うことが、快楽であり、吸うことが束縛となり、それにとらわれることで、心は狭まり、苦痛が増える。
煙草をやめることによって、この苦痛からの解放が、わかる。やめた人にしかわからない、安楽である。

大都会に住むということは、これに似ている。大都会から地方に移住することで、安楽を得る。

また、たとえ苦痛があろうとも、世のためひとのため、束縛のあることであっても、行っていくことで、快楽につながるということがある。これが、過剰労働であったり、過剰なサービスであって、日本の幸福度を下げることになっている。過剰サービスに一分のマゾヒスティックな快楽があるからだ。一部の人は、おもてなしという用語に置換している。

ありがた迷惑と不親切の間に、しっかりとサービスが収まることは、現実問題ありえないのにもかかわらず。

昭和、半数以上の大人がたばこをすって、社会を、さまざまな束縛の中で、目的論的に歩んでゆき、そして、安楽を、どこかに置き忘れたまま、彼らの子供は、ヴァーチャルなゲームの世界に没頭していった。

大都会には、その深い深い苦痛がこってりとつもりつもって、一歩足を踏み入れると、その深みにはまってしまって、快楽を味わい続けてしまう。

安楽とは、やはり失うことからはじまるということだなあ。

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by khosok | 2017-03-25 16:49 | Comments(0)