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変化は失うこと知ること

大学の図書館で、「北緯10度線(イライザ・グリズウォルド、白須英子訳)」が目に留まり読み始めた。キリスト教徒とイスラームの断層というか地政学的にせめぎ合う場所が、ツエツエバエの生息場で、イスラームを阻止しているアフリカの北緯10度あたりにあるという。

結婚や出産により宗教が変化する、居住地の移動によっても、それが起こる場合がある。宗教はさして重要な精神的支柱の変化ではなく、単に友達付き合いや夫婦間の関係性の中に自然に入り込んだだけの場合もあるだろう。食生活の変化のように自然に宗教が変わることもある。

宗教だけではなく文化や習俗の変化は、その前の状態を忘れさせる、個人の中で前後の価値観で断絶が生じる。その変化が大きいほど価値観の断絶の衝撃は個人としては大きいが、いずれ忘れてしまって、前の状態は思い出にかわる。ここで、個人を相対的に俯瞰すれば、ミルフィーユかバウムクーヘンのように層状に個の価値観が重なりあい重層化して豊かで味わいのあるものに映るが、一方で個人としては、その最上層から地層をドリルで穴をあけて過去を振り返るような作業になるから決して豊かさを実感することはない。バウムクーヘンの茶色い層と黄色い層の断絶は明確で、地政学的なそして時間的な断絶を想起させる。この二層の間には、失望、断念、挫折、喪失という下層と、向上、努力、学習、慣れといった新規の環境への順応作業により形成される上層とを、明確に区分する何らかの革命的な変化があったのだ。

こうして我々は、差異について理解することになる。そして重要なことだが、差異を理解することで共通点を明確に知ることになる。旅をして、異なる環境に身を置いて、苦しみ、悩み、そして進み、そして今を生きている。変化により、多くのことを失ったと思う。個人としては上に積み重ねているというよりは、その都度失っている。しかし、ある時、ミルフィーユの上層から下層までを一口で食べるような過去の振り返りのような時間にひとり考えたり、各層の間にある断絶について理論立てて考えたりすることで、いずれにせよいま生きてるんだ、周りのひとたちに助けられてるんだ、人は語りあうんだ、みたいな共通点を、明確にそして強く知ることになるんだと思う。沢木耕太郎からインパラの朝から、いろんなことを学んできたし、実際家族でブリュッセルに暮らして感じ思ったこともある、変化は寂しさと悲しさを我々にもたらし、断絶は深層の芯を知るきっかけをちらつかせてくれる。

「正しい行為と間違った行為という発想を超えたところに広場がある。私はあなたにそこで会おう(ジェラルッディーン・ルーミー)」という句が北緯10度線の扉に引用されている。広場で会おう、一期一会を楽しもう・・・

by khosok | 2017-08-10 18:12 | Trackback | Comments(0)

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