私は私だけの世代では生きていない
2017年 09月 30日
星野博美さんの「みんな彗星をみていた」を読んでいる。天応遣欧少年使節、リュートという楽器を学ぶ現代の自分、関連する旅行記みたいなものなどが絡む独特の文体で、すごく面白い。
この作家、私がベルギー留学中、お土産に欲しいものはなにかと問われたら、読み終わった単行本と言っていたのだが、上司が持ってきてくれたものの一つが、「コンニャク屋漂流記(星野晴美)」だった。自分の先祖のルーツみたいなものを探っていく話だが、自分の現在の姿と過去に書かれた文献、自分自身の生きてきた過去と先祖が生きていた過去とが交錯して絶妙な味を出していた。今の自分の価値観を作っている自分の記憶は、実に重層で、自分だけの経験だけではなく、書物や親、親族から聞かされた過去としての既知識との合体となる。
医師として働く私も、自分の過去の経験だけがすべてということは当然ありえない。教科書で学んだこと、先輩や上司が教えてくれたこと、さらに先々代のおじいさん教授が学会で話していること、そんなことの総体が、いまの自分を形作っている。他の職種の人から教えられることも多かったし、私の場合、海外の人、行政という異業種の人からも、多くを学んできた。
だから私の頭の中は、結構ごちゃごちゃだ。おもちゃ箱に今まで遊んできたおもちゃがいっぱい残っていて、次遊ぶときにどれで遊ぶのかまよう子供のおもちゃ箱のようなものだといってもいいんだけど、違いはおもちゃ箱としての実態がないこと。おもちゃ箱の記憶という目に見えないものしか残っていない。確かに、その当時の写真とか、論文とか発表した実績みないなものとかは、文字・形としては残っているかもしれないが、体験というものは、形ではない。さらに、記憶は残念だが想起するごとに美化され変わってしまうのだ。
私は、死ぬまでおもちゃ箱をひっくり返しながら遊び続けるというようなことがどうやらあまり性に合っていない。気づけば、40歳だ。すこしおもちゃ箱を見つめて、きっとそこには、おばあさんの火鉢とかお父さんの腕時計とか、そういうものが入っているんだから、自分の生きざまにつながっている様々な事柄を、生きる原動力にして、そして、なぜ今も私たちがあゆみをつづけているのか、地に足をつけて地面を感じながら、生きるということをかみしめたい。
今日から、子供たちが親とは別の部屋で寝ることになった。私にも、そんな日があったのだろう。
新しい職場にやや緊張した面持ちで実際に気を引き締めて登場した日がある。きっと父にも、そして私のおじいさんにも、それぞれの特別な日があったのだろう。そんな特別な日の積み重ねが、生きるということだし、死ぬまでこれがつづくということだ。そもそも、いきるとはただそれだけのこと・・・
この作家、私がベルギー留学中、お土産に欲しいものはなにかと問われたら、読み終わった単行本と言っていたのだが、上司が持ってきてくれたものの一つが、「コンニャク屋漂流記(星野晴美)」だった。自分の先祖のルーツみたいなものを探っていく話だが、自分の現在の姿と過去に書かれた文献、自分自身の生きてきた過去と先祖が生きていた過去とが交錯して絶妙な味を出していた。今の自分の価値観を作っている自分の記憶は、実に重層で、自分だけの経験だけではなく、書物や親、親族から聞かされた過去としての既知識との合体となる。
医師として働く私も、自分の過去の経験だけがすべてということは当然ありえない。教科書で学んだこと、先輩や上司が教えてくれたこと、さらに先々代のおじいさん教授が学会で話していること、そんなことの総体が、いまの自分を形作っている。他の職種の人から教えられることも多かったし、私の場合、海外の人、行政という異業種の人からも、多くを学んできた。
だから私の頭の中は、結構ごちゃごちゃだ。おもちゃ箱に今まで遊んできたおもちゃがいっぱい残っていて、次遊ぶときにどれで遊ぶのかまよう子供のおもちゃ箱のようなものだといってもいいんだけど、違いはおもちゃ箱としての実態がないこと。おもちゃ箱の記憶という目に見えないものしか残っていない。確かに、その当時の写真とか、論文とか発表した実績みないなものとかは、文字・形としては残っているかもしれないが、体験というものは、形ではない。さらに、記憶は残念だが想起するごとに美化され変わってしまうのだ。
私は、死ぬまでおもちゃ箱をひっくり返しながら遊び続けるというようなことがどうやらあまり性に合っていない。気づけば、40歳だ。すこしおもちゃ箱を見つめて、きっとそこには、おばあさんの火鉢とかお父さんの腕時計とか、そういうものが入っているんだから、自分の生きざまにつながっている様々な事柄を、生きる原動力にして、そして、なぜ今も私たちがあゆみをつづけているのか、地に足をつけて地面を感じながら、生きるということをかみしめたい。
今日から、子供たちが親とは別の部屋で寝ることになった。私にも、そんな日があったのだろう。
新しい職場にやや緊張した面持ちで実際に気を引き締めて登場した日がある。きっと父にも、そして私のおじいさんにも、それぞれの特別な日があったのだろう。そんな特別な日の積み重ねが、生きるということだし、死ぬまでこれがつづくということだ。そもそも、いきるとはただそれだけのこと・・・
by khosok | 2017-09-30 04:29 | Trackback | Comments(0)