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臨床宗教師というのを知りました

医学部卒業後、麻酔科医・集中治療医として勉強を続けてきた。しかし、当初麻酔科医になった時は、緩和ケアを中心に生きていきたいと思っていた。学生の時は柏木哲夫先生の本などを読んでいた。

一時は京都の大学病院で勤務し小児麻酔と小児集中治療に熱心に取り組む覚悟をしたが、その後の転勤の過程で地域の一般病院に赴任し、広い意味での麻酔科業(手術麻酔だけでなく、集中治療、栄養管理、ペイン、緩和、救急、医療安全の中で足りない部分を補う仕事)をすることとなって、緩和ケアチームに入れていただくなどして、終末期の鎮痛管理にも関わらせていただく中で、最期をどのように迎えるか、またそのプロセスの中でどのように人々が支えあい何ができるのか、といったことについて、答えはすぐには見つからないがプロセスとしてその過程の中で最善の知恵を出していくことが私に課されているというようなそんな緩やかなやりがいを感じていた。

しばらく、臨床から離れているが、週末に学会に参加して、島薗進先生の話がとても興味深かった。いろんな哀しみのような体験を通じて、人は、次の一歩を歩みだす。その時、寄り添う人がいるということのありがたさをみなひとは感じている。お節介ではなく、単に一緒に歩いているものの存在だけですくわれるというそういう形を、私たちはそれぞれの経験の中で知っている。

臨床宗教師というものを養成育成する取り組みがあることを知った。特に、日蓮系だろうか仏教系の流れを比較的色濃く持つものだろうか。京都では龍谷大学で養成課程があるようだ。
http://www.sal.tohoku.ac.jp/p-religion/sicj/shuisho.html

医師として残された勤労年数は20年程―健康に活動できればーであるが、やはり、医師としてはまず過去を学び新しい技術を学びそして公平に評価する、そして病を負ったひとがいればそのものに寄り添って、できる癒しの手を控えめに差し出してそれで病の本質を本人と共にすこしは解決していくことで、そのひともそして私自身も次の一歩が歩みだせたらよい、そんなことが最も私の価値観にあっている。

学び、そして次の一歩を歩みだすことだ、そして、気づいたら一生は終わる。

by khosok | 2017-05-29 08:52 | Trackback(8) | Comments(1)

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Commented by 中山弥生 at 2017-05-30 06:29 x
臨床宗教師のことは初めて知りました。大阪の病院にはチャプレンのいらっしゃるところがありますが、体系的に養成しておられるようではないようです。戦後の日本の教育では宗教について正しく教えて来なかったために色んな弊害を感じることがあります。現在私は在宅業務を通して沢山の方の死に臨んでおりますが、信仰を持っていなければできなかっただろうなと思うことが沢山ありました。重症の精神疾患の方の対応にも苦慮しますが、普通の方々が思わぬ病を得て苦しむ側で薬剤師として出来ることを見つけられることは少なく、気持ちに寄り添うことくらいしかできません。信仰を持っていなければ逃げ出したくなるのかなと思いながら祈ることもしばしばです。医療行為そのものより医療者の言葉やちょっとした行為に癒される人をみることも多々ありました。
正しい信仰をもつことで自身も目の前の患者さんも同時に救われると思います。
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