牛乳配達の思い出

大学生の時に、牛乳配達のアルバイトをしていた。

週3回、朝4時から2時間程度で、200本くらいを60軒くらいに配るのだった。大きな店の冷蔵庫から牛乳を軽トラの荷台に積み込んで出発する。配り終わるころには、すっかり明るくなって出勤を始める人たちがちらほらとで出す。

15年くらい前の話だ。形状が、「ガラスの瓶に紙の蓋」から「総プラスチック」に代わった頃だ。ある雨の朝、大きな交差点で新聞紙が美しい弧を描いて落ちていたのを見て、現場にいた配達員の残念さに共感した。牛乳瓶がガラスだった頃は、配達途中に隙間ができたトレーの中で瓶が踊って割れることがあり、店まで補充に取りに帰ることがあった。紙の蓋は、隙間から微妙に漏れて、配り終わったころには、手が牛乳くさい。きちんと洗わずに出される牛乳瓶を回収するためでもある。

昭和の住宅街と古い村落、新興造成地、それぞれに漂う空気感が違う。朝の暗い時はそれがよくわかる。クリスマスのデコレーションが、誰も見ない早朝も光っているのを、成金趣味だと思い、しかし同時に我ら早朝の労働者を思っての温かな思いやりかと受け止め直したりする。やや単調な体を使った役務からは、そういう社会を多面的に見るようなことを体得していくことになる。

忘れない感覚が、ヘッドライトの暖かさだ。冬かじかむ手を軽トラのヘッドライトで温められることに気づいた。なんだか大発見した気分になった。用途や目的外にも、有益な部分がある。しかし、夏なら、熱いだけだ。

1年半か2年弱で、大学の実習が忙しくなってきたことを理由に辞めた。終わりの頃、私が辞めたいと店長に伝えてから、半年程度は、次の人が決まらなかった。次の候補者が、引き継ぎ兼体験勤務をするのだが、実際に、こなくてよいよといわれるまで、2・3人の人と一緒に回ったと思う。ひとそれぞれに、それぞれの思いがある。


それから、15年。朝、新聞受けに新聞を取りに行き、新聞が入っていない日がある。そういえば、前日の新聞に、その朝の休刊が書かれていたなあと、苦笑いを噛み殺す。牛乳配達員であった私が寝坊して、いつもより30分くらい遅く、日の登った住宅街で一軒の牛乳受けに向かうと、お婆さんが玄関先で、「ごくろうさま」といってくれたことを、思い出す・・・・たまたまのことか。待っていたのか。事故などを心配していたのか。それ以外の思慕のような感情のためか・・・・

自分の役務が、どのように他人の心の中に、どんな形で入り込んでいるかは、計り知れないもの。年末の雰囲気に乗じて、思い出の束に少しふれなおした。
[PR]
# by khosok | 2016-12-23 09:01 | Comments(0)

家族とすこし長めに過ごした。関西方面での2日出張のためだ。

土曜朝の環状線で娘の髪を結ぶ母の姿をみて、自分としてこういう母子のためになにか役にたつ仕事ができているだろうかと、やや感傷的な思考に入り込みそうになった。社会としての平安ということを思ったのだ。

私が自己を主とした個別事例にではなく、決定的に社会に視点を向けるようになったのは18歳の春だと思う。その時夢破れ、自分のためではなく他人のために生きるという思想の転換が起こった。とはいえ、その後も、タバコがやめられない自分とダブるように、虚無的であったり、退廃に憧れたりしたが、家族を持つとか、いろいろ変化があり、また、日本を離れ海外での家族水入らずともいうべき生活を経て、単身赴任の今も家族を思いつつ、社会とかひとのために仕事をすることを、ひとまず総論的には自己像としておかしくない、そんな40歳に達そうとしている。

家族の住む家で、休日の朝息子は私を起こし将棋をさすことをせがむ。昨年から私も将棋の駒の動かし方を勉強しだし、息子より少し早く上達している感触だが、お互い素人打ちで、おじいさんが、横から見て、にやにやしている。隣の台所から、妻が食事ができたと呼ぶ・・・

「聞けわだつみの声」は、若いころの私を大きく変えた著作の一つだ。18歳の私は、特攻の青年たちと同じ言葉を同じ歳で発することができないことに、なんとも言えない苦々しさを感じていた。私は社会や日本や家族のために、何一つできることのない、たばこばかりすっている、なかはらちゅうやみたいな自暴自棄に浸るような、大学受験浪人という地位を謳歌し、同級生たちに後れを取って・・・・・・そんな屈託がなんだか懐かしい。それから20年がたった。

時代により大切なものは変わるかもしれないが、変わらないものがある。家族のために、そして家族を支えるために社会を守るためそして同時にひとのおうちの家族やみなのために、日々私が目の前の作業や役割に真面目に取り組んでいかなくてよいはずはないではないか、何気ない休日の朝の日常的な風景が、私に改めて心の整理を促してくれた。

[PR]
# by khosok | 2016-12-10 12:24

気温がすこしずつ下がっていく秋に、改めて死と離別を考えている。

「八日目の蝉(角田光代)」が池袋の古本屋で平積みになっていたため、買って読んだ。ベルギーで奥さんが日本人コミュニティーから借りて読んで面白がっていたのを思い出した。主人公の衝動的に子育てを始め逃避行の中で貫かれた親子の愛情というものをしっかりと一本の筋を通して描ききった著作に感激する。

「禅ー心をかたちにー:東京国立博物館」にて、世代を超えた仏師たちの足跡に触れながら、山田無文の著作を2つ買った。これまで仏教的な自己救済または現世利益の考え方として、世俗の中でも、規則とか精進みたいなことを続けることを修行としてとらえて、成仏に近づくといったことを学んできたわけだが、逆にこうした僧侶として生きる人たちは、親子の情にも近い深い慈悲の心をもって、世代を超えて、我々に正しい考え方や生き方を教えてくれている。天台的な価値観でいうと、不動明王のような憤怒でもって迷いに打ち勝つ力を与えていただくわけだが、これぞ、母親の愛と重なる深い情の現れとみてもあながち間違いではなかろう。

「湯を沸かすほどの深い愛(監督:中野量太)」で、宮沢りえさんがはなっている母親としての強さは、こころにずしりとくる。血のつながり、子育てのなやみ、お金や土地親族のいざこざ、夫の浮気、老い、痴ほう、死別と、家族・夫婦にはとかくいろいろあるわけで、それでもなお削り取った後に残るものは、深い愛で、深い愛を世代を超えてつなげて、我々は、ホモサピエンスとしての歴史を歩んできた。

ひとのこころに残るものが、世代を超えて、ひとのこころの中で、伝わっていく。
こわくもあり、また、うれしくもある。

[PR]
# by khosok | 2016-11-23 17:33 | Comments(0)

鈴木大拙が、仏教の無心をchildlikenessと訳したと日経新聞に書いてあった。

小さいころばかりでなく大人になってからも、とにかくすきなことに熱中しているときは童心に戻ったと感じることが、だれしもあろう。

初めその事柄を体験した時は、童心に返ったようにうきうきとして喜びに満ち、そして、熱中している自分を自覚する。そして、しばらくするとその社会的役割とか自己の成長とか、なにかやや身勝手な意味づけをして陶酔する。しかし、惰性で続けることに矛盾、不愉快さ、欠点ややめたい衝動のようなものが生じてきて、しかし続けていくと、あきらめというわけではないが特になにも感じない無心といってもいいような状態に至って、初めは熱中していたその事柄を淡々と日常の自己の鍛錬とか成長とか四季の移ろいの中での変化を感じ取るための物差しのように見つめながら歩む同行者として、その事柄を愛情をもって行うことになる。

仏教の無心というのを論じられるほど、仏教的な天台的なあるいは禅的な修行をつんではないから、無知をさらけ出すようで恥ずかしい限りだが、私の理解している無心というのは、能動的に大人になってから体得するという性質を持っているように感じている。冒頭の鈴木大拙にせよ、無心を心のトレーニングといっているようだし、僧の修行という言葉を英語で表現するときに、きっと、私なら、心と体のトレーニングという説明の仕方で伝えようとしそうだ。つまり、童心、という日本語のもつあっけらかんとしたものと、無心の境地とでもいうべきことが、遠く感じてしまう。

しかし、かの鈴木大拙であるから、そんな私のようなものの屈託などすべてお見通しなのであろう。修行を積んだ仏僧は瞬間的に無心になれ、瞬間的に童心になれるのだろう。目が輝くのだろう。そのことを、なんとなく直感的には感じられても、身に響く体験はない。そのような修行の足りない私に必要なのは行動に重心を置くことか。そして、心と体のトレーニングをして、来るべき死とか心が解体される時に備えるべし。

[PR]
# by khosok | 2016-10-16 11:43 | Comments(0)

能力とかいう幻覚

思うところあって、腕立て伏せ30回を始めた。初めの数日は7回やっては休み、という感じだったが、1週くらいすれば、30回できる。20代の前半で、腕立て伏せが30回できないで困った記憶はない。しかし、ここ数年関心がそれていたために、過去にできたことができなくなっていたのだ。

子供の時、一度は習得したかに見えることがあっという間に、自分のものではなくなることがだれしもある。一方で、一度乗れるようになった自転車に、久しぶりに乗ると乗れないということはない。純粋な筋力のようなものと、平衡感覚というようなものでは、何か記憶のしくみが違うのだろうか。

二つの教訓が混じっているので、整理したい:
・毎日続けると、体がなじんで、できかなったことができるようになるということ
・しばらくやっていないと、できるものもできなくなるということ

一方で、しばらくやっていなくても、やればすぐにできるような種類の物事が、どうもあるのではないか。

そして、思う。私よりも能力のある人から見たら、「なに、腕立てができないとか、寝ぼけたこと言ってんだろう」ということであっても、本人は至極必死である。自転車が乗れない人からすれば、「なぜ、自転車なんてのれるのか、そもそもわかんないのに、しばらく乗ってなくても、すんなり乗れるなんて超人!」ってことになる。

ひとそれぞれができること(能力)なんてのは、確かに相対的にその度合いを測れてしまうことだから、競技ってのが成り立つし、それで評価のようなものが決まってくるところがある。しかし、上のようなこんがらがり方をしだすと、相対的なできふできの事柄には、さして大きな意味が感じられないか、むしろ非人道的なことにも思えてくる。できないからと言って、そのことで誹謗中傷することは忌むべきことに思え、能力の差で競争することを否定するような極論に達してしまいそうだ・・・

個人として、昨日よりも今日の能力をすこしでも高めるということに精力を使いたい。それが、人としては、全うな行いに思えるし、上のような虚無から逃れるためなのだ。そして、自転車に乗るように、屈託なく颯爽と人生をやり過ごせたらさぞよかろうに。


[PR]
# by khosok | 2016-09-11 16:44 | Comments(1)

夏の死、そして生

私だって、一所懸命に生きている。

過去を振り返れば、多くの方々がなくなっていった。
いきるって、なんなんだろう、よくわかんないけれど、
一所懸命に、なにかをしようにもできないような、
そういう精神を失ったところが、死という場なのだろう。

残されたものに、思い出という重い置物を置いていくのが、生というもので、切りられた生は、相対的な社会の中で、最後は、置物に代わって、死ぬ。

夏には、飛んで来た蚊はいとも簡単にぺしゃんこにされてしまう、そんな如くに、夏には、死の予感を内に秘めたような恐ろしさがある。夏の夜は罪深い。江戸川乱歩のような奈落の暗さが、夏によく似合うのだ。

置物となって、残されたものの心の中で、にらみを利かす死者に哀悼の思いを抱くとき、置物と哀悼が差し違えて置物が細切れになってさらに、深い傷を作る。それがこの置物のだいご味であって、笑い飛ばそうにも置物には深い慈悲よりは深い闇がよく似合う。

生きているだけで、十分なの。それは、置物ではなく、さまざまに飛び跳ねねじり伸びる動く体とそこに宿っている精神の力強さを、存在そのものが主張できる。置物は、哀悼と差し違えるが、生き物は生き物どうしが夢をもって差し違え、そして新たな生き物に変身していく。ここには、夢がある。

私だって、生きている。

・・・・そして、もしかしたら、置物としての死の意識故に生々しく力強く生を生きているのだから、置物も大いに役に立つのだということ、これこそが、輪廻といった感覚に近しいのかと、めぐる思考が、肉体的な回峰行のようなめぐる行為との連想の中で、なまめかしく、なつのよるに湧き上がってくるのだ。
[PR]
# by khosok | 2016-08-19 23:20 | Comments(0)

千鳥ケ淵戦没者墓苑

美山要蔵氏のことを冷静に詳しく記載した書籍に、「靖国と千鳥ケ淵(伊藤智永)」がある。
氏を中心に、戦没者の慰霊という事業がどのように進められたかをしっかりと扱ってある。


墓苑の奉仕会のHP
http://www.boen.or.jp/
(たしかにケが小文字と大文字の混乱がある)

私は、個人的には、靖国神社横の壮大な博物館
http://yusyukan.yasukuni.jp/info/
これより、

何もない、ただ、古風な石の棺が、静かにおかれた、千鳥ケ淵の六角形の建物、そして、その周囲に漂う空気のようなものの方が、僕にさまざまな想像を呼び起こし、自然と涙させます。先日、ここに拝した際、この六角形の、そして、その中の石棺は、僕には、20歳になったばかりの青年が、南国に向かう軍艦に乗り、大海原にひっそりと浮かぶ小島にーこれから、ここで戦い、生きては帰れないかもしれない、戦場となる、小島にー静かに、足を踏み入れるような、そんなことを想像させました。


かつて3年くらした京都北部には、日本で最後まで引き揚げ拠点となった舞鶴市がありました。
http://m-hikiage-museum.jp/
舞鶴から京都までの国鉄は、引き揚げ者達のさぞ高揚した倦怠を乗せて、陰鬱な舞鶴を抜けて現れる狭い梅迫の田園、安栖里のあたりの段々になった田園となだらかな山並み、最後の馬堀から嵐山までのトンネルを抜けるごとに現れる渓谷が、日本を、故郷を、思い起こさせたにいない。


現在も、厚生労働省社会・援護局が、戦没者遺族等への援護を行っている。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/senbotsusha/
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/senbotsusha/seido01/index.html
[PR]
# by khosok | 2016-07-17 17:50 | Comments(0)

先進国という言葉は、あまり好きではないが、とりあえず、BREXITのはなし。

ブリュッセルに2013年から16年にかけて暮した時も皆が話題にしていたが、ヨーロッパ諸国のナショナリズムの高まりは、止められないようだ。EUという貿易と経済の問題なのか、Euroの通貨発行権の問題なのか、それとも国体とか政治的精神的中心の問題なのか、それらの複合した国民感情は、ISISの問題で近々でエスカレーションしたアラブの民の流入と固定化していくアフリカやアラブの民の2世~3世との治安上の問題を、取り込むようにして、排他的な感情が目立っているように見える。

ガラスの天井ならぬ、それぞれの民の間の壁のようなものが、他人の体臭を避けるようなごく自然な立ち居振る舞いとして現実としてあったように思う。別に体臭がきつくても、生きていける。ただ、なにか絶妙に避けられているのだが、そこに線を引くとなると、人間というのは、まだ、未熟な集団であるため、排他的になり、自分の属する集団に執着していく。

ずっと、思想として勉強してきたはずだ。差異は存在する。その認識と社会の構造や制度をどうするかは、別である。そんなことは承知のうえで、経済的に一時は混乱が生じることを覚悟で、EUから抜けると決断するわけだ。長い目でみて、経済的な国と国の間の差別化は続けた方がよろしい。そして、国というものは維持しないとダメじゃんね。そういうことなのだろう。

海外に暮らす間に、私は日本人でありたいと強く思ったし、日本に帰ってきたいと思った。しかし、日本に半年も住むと、他との対比としての日本人らしさみたいなものを失って、日本の中にいる独善的な独りよがりの日本人観になりさがってしまう。そこから、ナショナリズムを叫ぶと、おかしくなる。

対比としての日本人観で、日本をまもりたい、という意識は、なんとか維持したい。世界が、向かうべきは、そういう秩序であって、単なる壁の増改築ではない。
[PR]
# by khosok | 2016-06-24 22:51 | Comments(0)

個というのは、幻想

個というのが、科学の目から見た幻想かもしれないのに。
「脳・戦争・ナショナリズム(文春新書)」の中での中野信子氏のことばである(p.92)。

ちょうど直前に「密教とマンダラ(頼富本宏)」を読んでいて、その終わり近くで、空海の思想が簡単に紹介されていた。引用する。

p.235~
空海が真言密教の中心教理を表明し、(略)そのダイジェスト版といわれる「秘蔵ホウヤク」に説かれる十住心の体系で(略)、第七の段階(覚心不生心)は、不生不滅の縁起を旗印とする中観派の空の哲学をとくもので、心のみ残っていたそれすらも、高次の立場からは、無自性で空であるとする。(略)第九の段階(極無自性心)は、(略)あたかも万華鏡の世界のように、いっさいの存在は相互に幾重にも妨げなく(重々無礙)融合しあっている。

熱帯の魑魅魍魎の世界、日本国東京の集まる人々の雑踏の中、私という存在は、単なるいっぴきの虫けらにすぎない。虫けらには、その周りにまとわりついた重層的なその存在をたらしめるたの虫けらや無機物によって、そしてその捕食者によっても、虫けらとしてまさにそこに存る。

新幹線で移動している私は、さまざまな価値観を背負った数百人の人間と区別する方法に乏しく、その新幹線は、それを2分15秒間隔で運行させる数多の従業員の努力の結果として、寸分たがわぬ宇宙的な時間の正確さで、私(のような他人と区別がつかないイチ日本人)を家族のいる関西から、職場の東京まで2つの分断された世界観の橋渡しをするのである。

むじょうじんじんみみょうほう
ひゃくせんまんごうなんそうぐう
がこんけんもんとくじゅうじ
がんげにょらいしんじつぎ

私を生かしてくれている周りの存在すべてに感謝をいたします。




[PR]
# by khosok | 2016-06-12 23:13 | Comments(0)

2013年3月に病院の麻酔科医を辞してベルギーへ研究留学に出た。もはや3年、臨床業務から離れている。

旧来の医局制度の中で、10年間勤労と勉学をさせていただいた。その間、井の中の蛙は井の中で立派に蛙でありたいと願っていた。井から抜けよという外的な圧力の中で、それなりのエネルギーを使って井から飛び出してみて、今感じていることは、井の外であっても自分は依然と変わらない蛙であること、そして、井の外にも僕に似たような蛙がたくさんいるということだけに思う。

井から抜けて大海をしらないと立派な蛙になれないというわけでは決してなく、井の中でしっかりと歩み続けることで十分に立派なのだ。井の外からみたら、井の中の蛙が何と立派であるかということに確信を持ったという意味では、井の外に行かなくても、立派な蛙であれるかどうかを決める要素は、井の中にあったという気がしなくもない。

井の外で、干からびた蛙、道で車にひかれましたとさ、ということであっては、困る。

濃厚で刺激的な30代後半を過ごさせていただき、多くの周囲の方々、温かく見守ってくれる近しい人たちに感謝をいたします。

[PR]
# by khosok | 2016-05-15 06:37 | Comments(0)