鈴木大拙が、仏教の無心をchildlikenessと訳したと日経新聞に書いてあった。

小さいころばかりでなく大人になってからも、とにかくすきなことに熱中しているときは童心に戻ったと感じることが、だれしもあろう。

初めその事柄を体験した時は、童心に返ったようにうきうきとして喜びに満ち、そして、熱中している自分を自覚する。そして、しばらくするとその社会的役割とか自己の成長とか、なにかやや身勝手な意味づけをして陶酔する。しかし、惰性で続けることに矛盾、不愉快さ、欠点ややめたい衝動のようなものが生じてきて、しかし続けていくと、あきらめというわけではないが特になにも感じない無心といってもいいような状態に至って、初めは熱中していたその事柄を淡々と日常の自己の鍛錬とか成長とか四季の移ろいの中での変化を感じ取るための物差しのように見つめながら歩む同行者として、その事柄を愛情をもって行うことになる。

仏教の無心というのを論じられるほど、仏教的な天台的なあるいは禅的な修行をつんではないから、無知をさらけ出すようで恥ずかしい限りだが、私の理解している無心というのは、能動的に大人になってから体得するという性質を持っているように感じている。冒頭の鈴木大拙にせよ、無心を心のトレーニングといっているようだし、僧の修行という言葉を英語で表現するときに、きっと、私なら、心と体のトレーニングという説明の仕方で伝えようとしそうだ。つまり、童心、という日本語のもつあっけらかんとしたものと、無心の境地とでもいうべきことが、遠く感じてしまう。

しかし、かの鈴木大拙であるから、そんな私のようなものの屈託などすべてお見通しなのであろう。修行を積んだ仏僧は瞬間的に無心になれ、瞬間的に童心になれるのだろう。目が輝くのだろう。そのことを、なんとなく直感的には感じられても、身に響く体験はない。そのような修行の足りない私に必要なのは行動に重心を置くことか。そして、心と体のトレーニングをして、来るべき死とか心が解体される時に備えるべし。

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# by khosok | 2016-10-16 11:43 | Comments(0)

能力とかいう幻覚

思うところあって、腕立て伏せ30回を始めた。初めの数日は7回やっては休み、という感じだったが、1週くらいすれば、30回できる。20代の前半で、腕立て伏せが30回できないで困った記憶はない。しかし、ここ数年関心がそれていたために、過去にできたことができなくなっていたのだ。

子供の時、一度は習得したかに見えることがあっという間に、自分のものではなくなることがだれしもある。一方で、一度乗れるようになった自転車に、久しぶりに乗ると乗れないということはない。純粋な筋力のようなものと、平衡感覚というようなものでは、何か記憶のしくみが違うのだろうか。

二つの教訓が混じっているので、整理したい:
・毎日続けると、体がなじんで、できかなったことができるようになるということ
・しばらくやっていないと、できるものもできなくなるということ

一方で、しばらくやっていなくても、やればすぐにできるような種類の物事が、どうもあるのではないか。

そして、思う。私よりも能力のある人から見たら、「なに、腕立てができないとか、寝ぼけたこと言ってんだろう」ということであっても、本人は至極必死である。自転車が乗れない人からすれば、「なぜ、自転車なんてのれるのか、そもそもわかんないのに、しばらく乗ってなくても、すんなり乗れるなんて超人!」ってことになる。

ひとそれぞれができること(能力)なんてのは、確かに相対的にその度合いを測れてしまうことだから、競技ってのが成り立つし、それで評価のようなものが決まってくるところがある。しかし、上のようなこんがらがり方をしだすと、相対的なできふできの事柄には、さして大きな意味が感じられないか、むしろ非人道的なことにも思えてくる。できないからと言って、そのことで誹謗中傷することは忌むべきことに思え、能力の差で競争することを否定するような極論に達してしまいそうだ・・・

個人として、昨日よりも今日の能力をすこしでも高めるということに精力を使いたい。それが、人としては、全うな行いに思えるし、上のような虚無から逃れるためなのだ。そして、自転車に乗るように、屈託なく颯爽と人生をやり過ごせたらさぞよかろうに。


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# by khosok | 2016-09-11 16:44 | Comments(1)

夏の死、そして生

私だって、一所懸命に生きている。

過去を振り返れば、多くの方々がなくなっていった。
いきるって、なんなんだろう、よくわかんないけれど、
一所懸命に、なにかをしようにもできないような、
そういう精神を失ったところが、死という場なのだろう。

残されたものに、思い出という重い置物を置いていくのが、生というもので、切りられた生は、相対的な社会の中で、最後は、置物に代わって、死ぬ。

夏には、飛んで来た蚊はいとも簡単にぺしゃんこにされてしまう、そんな如くに、夏には、死の予感を内に秘めたような恐ろしさがある。夏の夜は罪深い。江戸川乱歩のような奈落の暗さが、夏によく似合うのだ。

置物となって、残されたものの心の中で、にらみを利かす死者に哀悼の思いを抱くとき、置物と哀悼が差し違えて置物が細切れになってさらに、深い傷を作る。それがこの置物のだいご味であって、笑い飛ばそうにも置物には深い慈悲よりは深い闇がよく似合う。

生きているだけで、十分なの。それは、置物ではなく、さまざまに飛び跳ねねじり伸びる動く体とそこに宿っている精神の力強さを、存在そのものが主張できる。置物は、哀悼と差し違えるが、生き物は生き物どうしが夢をもって差し違え、そして新たな生き物に変身していく。ここには、夢がある。

私だって、生きている。

・・・・そして、もしかしたら、置物としての死の意識故に生々しく力強く生を生きているのだから、置物も大いに役に立つのだということ、これこそが、輪廻といった感覚に近しいのかと、めぐる思考が、肉体的な回峰行のようなめぐる行為との連想の中で、なまめかしく、なつのよるに湧き上がってくるのだ。
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# by khosok | 2016-08-19 23:20 | Comments(0)

千鳥ケ淵戦没者墓苑

美山要蔵氏のことを冷静に詳しく記載した書籍に、「靖国と千鳥ケ淵(伊藤智永)」がある。
氏を中心に、戦没者の慰霊という事業がどのように進められたかをしっかりと扱ってある。


墓苑の奉仕会のHP
http://www.boen.or.jp/
(たしかにケが小文字と大文字の混乱がある)

私は、個人的には、靖国神社横の壮大な博物館
http://yusyukan.yasukuni.jp/info/
これより、

何もない、ただ、古風な石の棺が、静かにおかれた、千鳥ケ淵の六角形の建物、そして、その周囲に漂う空気のようなものの方が、僕にさまざまな想像を呼び起こし、自然と涙させます。先日、ここに拝した際、この六角形の、そして、その中の石棺は、僕には、20歳になったばかりの青年が、南国に向かう軍艦に乗り、大海原にひっそりと浮かぶ小島にーこれから、ここで戦い、生きては帰れないかもしれない、戦場となる、小島にー静かに、足を踏み入れるような、そんなことを想像させました。


かつて3年くらした京都北部には、日本で最後まで引き揚げ拠点となった舞鶴市がありました。
http://m-hikiage-museum.jp/
舞鶴から京都までの国鉄は、引き揚げ者達のさぞ高揚した倦怠を乗せて、陰鬱な舞鶴を抜けて現れる狭い梅迫の田園、安栖里のあたりの段々になった田園となだらかな山並み、最後の馬堀から嵐山までのトンネルを抜けるごとに現れる渓谷が、日本を、故郷を、思い起こさせたにいない。


現在も、厚生労働省社会・援護局が、戦没者遺族等への援護を行っている。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/senbotsusha/
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/senbotsusha/seido01/index.html
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# by khosok | 2016-07-17 17:50 | Comments(0)

先進国という言葉は、あまり好きではないが、とりあえず、BREXITのはなし。

ブリュッセルに2013年から16年にかけて暮した時も皆が話題にしていたが、ヨーロッパ諸国のナショナリズムの高まりは、止められないようだ。EUという貿易と経済の問題なのか、Euroの通貨発行権の問題なのか、それとも国体とか政治的精神的中心の問題なのか、それらの複合した国民感情は、ISISの問題で近々でエスカレーションしたアラブの民の流入と固定化していくアフリカやアラブの民の2世~3世との治安上の問題を、取り込むようにして、排他的な感情が目立っているように見える。

ガラスの天井ならぬ、それぞれの民の間の壁のようなものが、他人の体臭を避けるようなごく自然な立ち居振る舞いとして現実としてあったように思う。別に体臭がきつくても、生きていける。ただ、なにか絶妙に避けられているのだが、そこに線を引くとなると、人間というのは、まだ、未熟な集団であるため、排他的になり、自分の属する集団に執着していく。

ずっと、思想として勉強してきたはずだ。差異は存在する。その認識と社会の構造や制度をどうするかは、別である。そんなことは承知のうえで、経済的に一時は混乱が生じることを覚悟で、EUから抜けると決断するわけだ。長い目でみて、経済的な国と国の間の差別化は続けた方がよろしい。そして、国というものは維持しないとダメじゃんね。そういうことなのだろう。

海外に暮らす間に、私は日本人でありたいと強く思ったし、日本に帰ってきたいと思った。しかし、日本に半年も住むと、他との対比としての日本人らしさみたいなものを失って、日本の中にいる独善的な独りよがりの日本人観になりさがってしまう。そこから、ナショナリズムを叫ぶと、おかしくなる。

対比としての日本人観で、日本をまもりたい、という意識は、なんとか維持したい。世界が、向かうべきは、そういう秩序であって、単なる壁の増改築ではない。
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# by khosok | 2016-06-24 22:51 | Comments(0)

個というのは、幻想

個というのが、科学の目から見た幻想かもしれないのに。
「脳・戦争・ナショナリズム(文春新書)」の中での中野信子氏のことばである(p.92)。

ちょうど直前に「密教とマンダラ(頼富本宏)」を読んでいて、その終わり近くで、空海の思想が簡単に紹介されていた。引用する。

p.235~
空海が真言密教の中心教理を表明し、(略)そのダイジェスト版といわれる「秘蔵ホウヤク」に説かれる十住心の体系で(略)、第七の段階(覚心不生心)は、不生不滅の縁起を旗印とする中観派の空の哲学をとくもので、心のみ残っていたそれすらも、高次の立場からは、無自性で空であるとする。(略)第九の段階(極無自性心)は、(略)あたかも万華鏡の世界のように、いっさいの存在は相互に幾重にも妨げなく(重々無礙)融合しあっている。

熱帯の魑魅魍魎の世界、日本国東京の集まる人々の雑踏の中、私という存在は、単なるいっぴきの虫けらにすぎない。虫けらには、その周りにまとわりついた重層的なその存在をたらしめるたの虫けらや無機物によって、そしてその捕食者によっても、虫けらとしてまさにそこに存る。

新幹線で移動している私は、さまざまな価値観を背負った数百人の人間と区別する方法に乏しく、その新幹線は、それを2分15秒間隔で運行させる数多の従業員の努力の結果として、寸分たがわぬ宇宙的な時間の正確さで、私(のような他人と区別がつかないイチ日本人)を家族のいる関西から、職場の東京まで2つの分断された世界観の橋渡しをするのである。

むじょうじんじんみみょうほう
ひゃくせんまんごうなんそうぐう
がこんけんもんとくじゅうじ
がんげにょらいしんじつぎ

私を生かしてくれている周りの存在すべてに感謝をいたします。




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# by khosok | 2016-06-12 23:13 | Comments(0)

2013年3月に病院の麻酔科医を辞してベルギーへ研究留学に出た。もはや3年、臨床業務から離れている。

旧来の医局制度の中で、10年間勤労と勉学をさせていただいた。その間、井の中の蛙は井の中で立派に蛙でありたいと願っていた。井から抜けよという外的な圧力の中で、それなりのエネルギーを使って井から飛び出してみて、今感じていることは、井の外であっても自分は依然と変わらない蛙であること、そして、井の外にも僕に似たような蛙がたくさんいるということだけに思う。

井から抜けて大海をしらないと立派な蛙になれないというわけでは決してなく、井の中でしっかりと歩み続けることで十分に立派なのだ。井の外からみたら、井の中の蛙が何と立派であるかということに確信を持ったという意味では、井の外に行かなくても、立派な蛙であれるかどうかを決める要素は、井の中にあったという気がしなくもない。

井の外で、干からびた蛙、道で車にひかれましたとさ、ということであっては、困る。

濃厚で刺激的な30代後半を過ごさせていただき、多くの周囲の方々、温かく見守ってくれる近しい人たちに感謝をいたします。

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# by khosok | 2016-05-15 06:37 | Comments(0)

留学先の面接を前に

留学の受け入れ先との面接での心がけを聞かれたら、次のように答える。

まず、夢を具体的にわかりやすく伝えること。
次に、その夢をかなえるために、この留学先が必要なわけを、明確にすること。

これにつきるように思う。

以下は、補足。
海外留学という言葉は、次の3つが混同されて用いられている。
①お金を払ってあるいは無給で他国のプログラムの中で勉強するというもの
②官費留学という国がお金を出して、将来の国のために勉強をさせるもの
③海外の研究機関が給与を支払い、そこでの労働力となること

②は、どのような形で受け入れてくれるかは、受け入れ先の状態により変わってくる。プログラムに入るにせよ、手続きが宙ぶらりんにならないように、プログラムの費用を官費で負担させる。労働させる場合、雇用できない条件ならば、責任関係が構築できない。

形は形であるが、大事なことで、しかし、上で書いた心意気のようなものが、結局は短期のそして長期の活動には重要だろう。


さらに、(先に言い訳をするわけではないが)
留学先で何ができるかは、留学前の面接での感触とは全く別問題だと思う。
留学先のいろいろな思惑にもよるのだろうが、実際にできることは、限られると考えた方が自然だ。××のことができるよ、というのは、(本人が頑張るならば)その可能性があるというのであって、それをさせてあげるよ、という意味ではない。世界で(日本国内でも)活躍する人は、とにかく初対面の感じがよい。約束のようなものは、通り一遍の美辞麗句であっても当然と思う。管理者のヒューマニティにも大きく左右される。


まあ、海外で暮らすというのは、いろんなことに挑戦できるチャンスだとおもう。日本にいるときに比べたら、人間関係の断捨離も進むし、格段に時間がある。それゆえ、自分の大事にすることも、きちんと認識できる。これを単なるモラトリアムだと批判されないように、自分なりの成果を培えるようにしたいものです。

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# by khosok | 2016-05-04 07:46 | Comments(0)

おおなむちのみこと

「火山列島の思想(益田勝実)」を読んでいる。一つの言葉の周辺にある歴史を紐解くことによって、過去の書物に記載された内容についての既成の概念の誤りをただし、より蓋然性の高いパラダイムを導入するのが、国文学者の仕事なのだろう。

おおなむち、は、大穴持、つまりカルデラまたは火口を持つ火山のこととした。
熊本は、「火の国」といわれ、阿蘇はアイヌ語の「火を吐く山」とか言われている。
大国主命なるものが九州から大分(豊前・宇佐あたり)の方であった名残かと、想像をたくましくしていた。

そんなときに、熊本の地震がおこり、単なる偶然に、ひとり身震いした。

自己の生活や仕事に追われて、地震のために苦労をなさる方にさして手助けをしてはいない。ヨーロッパで過ごした数年は、全く地面が揺れることはなかったと思う。オランダで大地震が起きたのは、天然ガスを採りすぎたため、地盤が崩れたためらしい。

日本は、実に自然のもつエネルギーが大きい国だ。火山、地震、台風。雷と親父は、それほど怖くないけれど、まあ、地震のために数年おきに必ずどこかで人が亡くなる。これをコントロールすることはできなくて、できることと言えば、壊れた家屋をいち早く元通りにできる、紙と木で作った軽い家屋に住むに限る。喜ばしいことに、日本は、ひとが暮すに必要な木を切り倒しても、あまりある森林が国を支えたのだった。つまり、山は宝だったし、大木は、生活を維持するためのシンボルのようなものであろう。諏訪の大木を引きずって祝う祭りにも通じることに思う。レバノンが木を切りすぎて滅びた歴史を知っていたかのようだ。

生きていれば、いろんなことが起こる。僕だって僕なりに精いっぱい生きている。

しかし、どこかでボタンの掛け違えみたいなことがあって、ビルジング(日比谷に本当にこういう建物名がある)に住むようになって、自分では食物を手に入れる作業をしないようになり、それでも、生きて人の間で、活動をするようになっている。このことに、ずっと違和感があって、自分の生きるために食べ物を育てたり、流通させたりしてくれている人たちのために、精いっぱい自分のできることをしないと、こころの平安が保てなくなっている。

日本という国に生きて、自然のさまざまな力の作用の中で、精いっぱい生きている。自然の力に、崇敬の念を持ち、しっかりと地面の温度や湿度や感触を感じながら、恐れをもって生きたいるべしと、改めに自戒のように思う。
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# by khosok | 2016-04-29 16:59 | Comments(0)

プロ意識と働き方

医は進歩した。臨床医療分野の分化がすすみ、医者は、30程の専門領域での仕事に特化していくことになった。私の場合、麻酔科医であるとともに、そのサブスペシャリティとして集中治療に特化した仕事人になるべく、進んできた。

日本の場合、専門に特化することに対する医師の抵抗は、家庭医、老年内科、総合診療医といったグループを生みだしてきた。一方、麻酔科医や放射線科医、救急医、小児科医、病理医といった臓器に特化しない医師も、専門に特化したくない医師の選択肢となり、専門科横断的な働き方と特有の場を形成するに至っている。

麻酔科医の話をする。麻酔科医になって10年くらい麻酔科医をしてきて、信念のようになった麻酔科医の働き方と働く場は、次のようなものだ。
 ・手術室の管理運営
  (いわゆる麻酔行為により、手術を安全に運行させる技術を患者と医療施設に対して提供する)
 ・医療施設の周術期管理の安全向上に取組む
  (手術前から後に渡って、患者の抱えるさまざまな問題に対応する)
 ・社会に対して麻酔行為についての正しい知識を普及
  (麻酔は安全になったが、事故やトラブルから完全に無縁ではない。人を死と一度は近づける技術と認識している)

集中治療は、2つ目の項目に当たり、麻酔科医を起源として発展してきた歴史があるが、集中治療が、周術期のみを対象とせず、救急入院後の集学的治療や高度な侵襲的内科的行為に随伴する全身的治療も含むことになって、上で挙げた麻酔科の範囲を超えてしまうため、集中治療と麻酔とを提供・教育すると表明するグループが増えていった。

麻酔集中治療科(学)、麻酔科蘇生科(学)、麻酔侵襲制御(学)などの名称には、一般的な麻酔の領域を超えた仕事(学問)領域を設定していることを明示的に表明している。

麻酔・ペインクリニック科というような言い方にも、麻酔の仕事領域の拡大意識が見て取れる。臓器別に専門分化した病院という組織において、麻酔、集中治療、ペインクリニック(緩和医療を含む)、救急初療などが、臓器別専門家では対応ができない領域となってきた。一方、麻酔科医は、科横断的に振る舞うことを要請され、隙間を埋め、病院の裏方として働いてきた。こうして、医療安全とか医療情報などに担がれることも加わり、(一般人には知られていないかもしれないが)組織としては重要な地位を占めるようになっていった。

前置きで、小文が終わってしまいそうだが、今回書きたかったのは、仕事紹介ではない。医師のプロフェッショナリズムと働き方の話がしたかった。

上で書いた私の理想像と、働き方は一致しない。私が田舎で働いているときは、マンパワーの問題で、手術の麻酔に9割の時間を費やした。1割を手術室の運営に費やしは、あとは、残業で集中治療とか緩和ケアを補った。多くの病院で麻酔科医は、麻酔をするだけで精いっぱいの労務を課されているので、特殊な病院を除き集中治療は片手間となる。それでも、そうありたい、という気持ちの故に、苦労して集中治療を手がけることになる。

働き方はさまざまであって、例えばその家庭の状況故に短時間の勤務となる人もいる。そうした人が、医師としての理想像に反してそうした行動をとらざるを得ない場合があることも想像にたやすい。つまり、労働の形と医師としての理想像とは別の問題だ。医師は、その労務量やあるべき姿をprofessional autonomyとして内部で自律的に決めてきた。厳しく育てられたし、排他的でもあった。権威を重んじる性質も肥大化していった。しかし、狭義のグローバル化などによる社会の変化で、医師全体の倫理性の低下は、医師の労働の形態に変化をもたらしてきたことも事実だとおもう。フリーの麻酔科医はその先端を行っているように勘違いしている人たちは多いが、多くの診療科で、労働の分担は進んでいるし、同時にプロ意識の低下は否めない。

私の属した大学は、眼科を除きすべての診療科で不足していると考えていた。田舎では、もうすこし、医師の数が増えれば、もっといいことができるのにと思ってきた。シーツの下から鈎(こう)を引いた。さまざまな裏方的仕事を麻酔科医として病院内に作用して働いた。都会では、なぜこんなに働かない医者がたくさん余っているのか不思議だった。しかし一方で、都会なら、集中治療に特化して働けたし、研究もできた。どちらも、その場その場での働き方を自律的に選んで職人してきた。

これからも、社会がどうかわろうが、麻酔科医としてのprofessionalを全うしたいと思う。外的なものが、何を規定しようが、自律的に存在しつづける。その強さを持とうと、静かに思う。
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# by khosok | 2016-04-03 07:09 | Comments(0)