個というのは、幻想

個というのが、科学の目から見た幻想かもしれないのに。
「脳・戦争・ナショナリズム(文春新書)」の中での中野信子氏のことばである(p.92)。

ちょうど直前に「密教とマンダラ(頼富本宏)」を読んでいて、その終わり近くで、空海の思想が簡単に紹介されていた。引用する。

p.235~
空海が真言密教の中心教理を表明し、(略)そのダイジェスト版といわれる「秘蔵ホウヤク」に説かれる十住心の体系で(略)、第七の段階(覚心不生心)は、不生不滅の縁起を旗印とする中観派の空の哲学をとくもので、心のみ残っていたそれすらも、高次の立場からは、無自性で空であるとする。(略)第九の段階(極無自性心)は、(略)あたかも万華鏡の世界のように、いっさいの存在は相互に幾重にも妨げなく(重々無礙)融合しあっている。

熱帯の魑魅魍魎の世界、日本国東京の集まる人々の雑踏の中、私という存在は、単なるいっぴきの虫けらにすぎない。虫けらには、その周りにまとわりついた重層的なその存在をたらしめるたの虫けらや無機物によって、そしてその捕食者によっても、虫けらとしてまさにそこに存る。

新幹線で移動している私は、さまざまな価値観を背負った数百人の人間と区別する方法に乏しく、その新幹線は、それを2分15秒間隔で運行させる数多の従業員の努力の結果として、寸分たがわぬ宇宙的な時間の正確さで、私(のような他人と区別がつかないイチ日本人)を家族のいる関西から、職場の東京まで2つの分断された世界観の橋渡しをするのである。

むじょうじんじんみみょうほう
ひゃくせんまんごうなんそうぐう
がこんけんもんとくじゅうじ
がんげにょらいしんじつぎ

私を生かしてくれている周りの存在すべてに感謝をいたします。




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# by khosok | 2016-06-12 23:13 | Comments(0)

2013年3月に病院の麻酔科医を辞してベルギーへ研究留学に出た。もはや3年、臨床業務から離れている。

旧来の医局制度の中で、10年間勤労と勉学をさせていただいた。その間、井の中の蛙は井の中で立派に蛙でありたいと願っていた。井から抜けよという外的な圧力の中で、それなりのエネルギーを使って井から飛び出してみて、今感じていることは、井の外であっても自分は依然と変わらない蛙であること、そして、井の外にも僕に似たような蛙がたくさんいるということだけに思う。

井から抜けて大海をしらないと立派な蛙になれないというわけでは決してなく、井の中でしっかりと歩み続けることで十分に立派なのだ。井の外からみたら、井の中の蛙が何と立派であるかということに確信を持ったという意味では、井の外に行かなくても、立派な蛙であれるかどうかを決める要素は、井の中にあったという気がしなくもない。

井の外で、干からびた蛙、道で車にひかれましたとさ、ということであっては、困る。

濃厚で刺激的な30代後半を過ごさせていただき、多くの周囲の方々、温かく見守ってくれる近しい人たちに感謝をいたします。

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# by khosok | 2016-05-15 06:37 | Comments(0)

留学先の面接を前に

留学の受け入れ先との面接での心がけを聞かれたら、次のように答える。

まず、夢を具体的にわかりやすく伝えること。
次に、その夢をかなえるために、この留学先が必要なわけを、明確にすること。

これにつきるように思う。

以下は、補足。
海外留学という言葉は、次の3つが混同されて用いられている。
①お金を払ってあるいは無給で他国のプログラムの中で勉強するというもの
②官費留学という国がお金を出して、将来の国のために勉強をさせるもの
③海外の研究機関が給与を支払い、そこでの労働力となること

②は、どのような形で受け入れてくれるかは、受け入れ先の状態により変わってくる。プログラムに入るにせよ、手続きが宙ぶらりんにならないように、プログラムの費用を官費で負担させる。労働させる場合、雇用できない条件ならば、責任関係が構築できない。

形は形であるが、大事なことで、しかし、上で書いた心意気のようなものが、結局は短期のそして長期の活動には重要だろう。


さらに、(先に言い訳をするわけではないが)
留学先で何ができるかは、留学前の面接での感触とは全く別問題だと思う。
留学先のいろいろな思惑にもよるのだろうが、実際にできることは、限られると考えた方が自然だ。××のことができるよ、というのは、(本人が頑張るならば)その可能性があるというのであって、それをさせてあげるよ、という意味ではない。世界で(日本国内でも)活躍する人は、とにかく初対面の感じがよい。約束のようなものは、通り一遍の美辞麗句であっても当然と思う。管理者のヒューマニティにも大きく左右される。


まあ、海外で暮らすというのは、いろんなことに挑戦できるチャンスだとおもう。日本にいるときに比べたら、人間関係の断捨離も進むし、格段に時間がある。それゆえ、自分の大事にすることも、きちんと認識できる。これを単なるモラトリアムだと批判されないように、自分なりの成果を培えるようにしたいものです。

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# by khosok | 2016-05-04 07:46 | Comments(0)

おおなむちのみこと

「火山列島の思想(益田勝実)」を読んでいる。一つの言葉の周辺にある歴史を紐解くことによって、過去の書物に記載された内容についての既成の概念の誤りをただし、より蓋然性の高いパラダイムを導入するのが、国文学者の仕事なのだろう。

おおなむち、は、大穴持、つまりカルデラまたは火口を持つ火山のこととした。
熊本は、「火の国」といわれ、阿蘇はアイヌ語の「火を吐く山」とか言われている。
大国主命なるものが九州から大分(豊前・宇佐あたり)の方であった名残かと、想像をたくましくしていた。

そんなときに、熊本の地震がおこり、単なる偶然に、ひとり身震いした。

自己の生活や仕事に追われて、地震のために苦労をなさる方にさして手助けをしてはいない。ヨーロッパで過ごした数年は、全く地面が揺れることはなかったと思う。オランダで大地震が起きたのは、天然ガスを採りすぎたため、地盤が崩れたためらしい。

日本は、実に自然のもつエネルギーが大きい国だ。火山、地震、台風。雷と親父は、それほど怖くないけれど、まあ、地震のために数年おきに必ずどこかで人が亡くなる。これをコントロールすることはできなくて、できることと言えば、壊れた家屋をいち早く元通りにできる、紙と木で作った軽い家屋に住むに限る。喜ばしいことに、日本は、ひとが暮すに必要な木を切り倒しても、あまりある森林が国を支えたのだった。つまり、山は宝だったし、大木は、生活を維持するためのシンボルのようなものであろう。諏訪の大木を引きずって祝う祭りにも通じることに思う。レバノンが木を切りすぎて滅びた歴史を知っていたかのようだ。

生きていれば、いろんなことが起こる。僕だって僕なりに精いっぱい生きている。

しかし、どこかでボタンの掛け違えみたいなことがあって、ビルジング(日比谷に本当にこういう建物名がある)に住むようになって、自分では食物を手に入れる作業をしないようになり、それでも、生きて人の間で、活動をするようになっている。このことに、ずっと違和感があって、自分の生きるために食べ物を育てたり、流通させたりしてくれている人たちのために、精いっぱい自分のできることをしないと、こころの平安が保てなくなっている。

日本という国に生きて、自然のさまざまな力の作用の中で、精いっぱい生きている。自然の力に、崇敬の念を持ち、しっかりと地面の温度や湿度や感触を感じながら、恐れをもって生きたいるべしと、改めに自戒のように思う。
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# by khosok | 2016-04-29 16:59 | Comments(0)

プロ意識と働き方

医は進歩した。臨床医療分野の分化がすすみ、医者は、30程の専門領域での仕事に特化していくことになった。私の場合、麻酔科医であるとともに、そのサブスペシャリティとして集中治療に特化した仕事人になるべく、進んできた。

日本の場合、専門に特化することに対する医師の抵抗は、家庭医、老年内科、総合診療医といったグループを生みだしてきた。一方、麻酔科医や放射線科医、救急医、小児科医、病理医といった臓器に特化しない医師も、専門に特化したくない医師の選択肢となり、専門科横断的な働き方と特有の場を形成するに至っている。

麻酔科医の話をする。麻酔科医になって10年くらい麻酔科医をしてきて、信念のようになった麻酔科医の働き方と働く場は、次のようなものだ。
 ・手術室の管理運営
  (いわゆる麻酔行為により、手術を安全に運行させる技術を患者と医療施設に対して提供する)
 ・医療施設の周術期管理の安全向上に取組む
  (手術前から後に渡って、患者の抱えるさまざまな問題に対応する)
 ・社会に対して麻酔行為についての正しい知識を普及
  (麻酔は安全になったが、事故やトラブルから完全に無縁ではない。人を死と一度は近づける技術と認識している)

集中治療は、2つ目の項目に当たり、麻酔科医を起源として発展してきた歴史があるが、集中治療が、周術期のみを対象とせず、救急入院後の集学的治療や高度な侵襲的内科的行為に随伴する全身的治療も含むことになって、上で挙げた麻酔科の範囲を超えてしまうため、集中治療と麻酔とを提供・教育すると表明するグループが増えていった。

麻酔集中治療科(学)、麻酔科蘇生科(学)、麻酔侵襲制御(学)などの名称には、一般的な麻酔の領域を超えた仕事(学問)領域を設定していることを明示的に表明している。

麻酔・ペインクリニック科というような言い方にも、麻酔の仕事領域の拡大意識が見て取れる。臓器別に専門分化した病院という組織において、麻酔、集中治療、ペインクリニック(緩和医療を含む)、救急初療などが、臓器別専門家では対応ができない領域となってきた。一方、麻酔科医は、科横断的に振る舞うことを要請され、隙間を埋め、病院の裏方として働いてきた。こうして、医療安全とか医療情報などに担がれることも加わり、(一般人には知られていないかもしれないが)組織としては重要な地位を占めるようになっていった。

前置きで、小文が終わってしまいそうだが、今回書きたかったのは、仕事紹介ではない。医師のプロフェッショナリズムと働き方の話がしたかった。

上で書いた私の理想像と、働き方は一致しない。私が田舎で働いているときは、マンパワーの問題で、手術の麻酔に9割の時間を費やした。1割を手術室の運営に費やしは、あとは、残業で集中治療とか緩和ケアを補った。多くの病院で麻酔科医は、麻酔をするだけで精いっぱいの労務を課されているので、特殊な病院を除き集中治療は片手間となる。それでも、そうありたい、という気持ちの故に、苦労して集中治療を手がけることになる。

働き方はさまざまであって、例えばその家庭の状況故に短時間の勤務となる人もいる。そうした人が、医師としての理想像に反してそうした行動をとらざるを得ない場合があることも想像にたやすい。つまり、労働の形と医師としての理想像とは別の問題だ。医師は、その労務量やあるべき姿をprofessional autonomyとして内部で自律的に決めてきた。厳しく育てられたし、排他的でもあった。権威を重んじる性質も肥大化していった。しかし、狭義のグローバル化などによる社会の変化で、医師全体の倫理性の低下は、医師の労働の形態に変化をもたらしてきたことも事実だとおもう。フリーの麻酔科医はその先端を行っているように勘違いしている人たちは多いが、多くの診療科で、労働の分担は進んでいるし、同時にプロ意識の低下は否めない。

私の属した大学は、眼科を除きすべての診療科で不足していると考えていた。田舎では、もうすこし、医師の数が増えれば、もっといいことができるのにと思ってきた。シーツの下から鈎(こう)を引いた。さまざまな裏方的仕事を麻酔科医として病院内に作用して働いた。都会では、なぜこんなに働かない医者がたくさん余っているのか不思議だった。しかし一方で、都会なら、集中治療に特化して働けたし、研究もできた。どちらも、その場その場での働き方を自律的に選んで職人してきた。

これからも、社会がどうかわろうが、麻酔科医としてのprofessionalを全うしたいと思う。外的なものが、何を規定しようが、自律的に存在しつづける。その強さを持とうと、静かに思う。
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# by khosok | 2016-04-03 07:09 | Comments(0)

記憶について

ここ数年で、めっきり写真を撮らなくなった。

写真で記憶が固定化されることを恐れているみたいだ。思い出は、記憶の中で書き換えられていくもの。写真にひもづく思い出も、同様に書きかえられるのだ。そうはいうものの、ここ数年の私は、どちらかというと、思い出をぼんやりとさせておきたい。その時々の様々な思い出をきっちり思い出したくない。記憶を書きかえたり、固定化させることをせずに、ぼんやりと放置しておきたい、そう思っている。

留学先の教授が、あんたの論文去年のたくさん読まれれてるランキングで上位だよ、という雑誌社からの自動送信のメールをFWして、Congratulations ! と。その論文を発刊するまでの経緯にはいろいろあった。記念写真みたいにお化粧してファイリングしたくない。記憶が書きかえられて、よいおもいでみたく変色していくことを、良しとしない。思い出の変質は、害だ。

高校卒業後は臨床心理士になることを志望していた私は、1年の浪人後に京都の医科大を受験して不合格となり、母といさかいを起こして兄の彼女の家に一泊した。厳格な父が亡くなる前後から、不安定だった私はさらに不安定な数年に突入していった。その頃書き残していたメモは、その後10年程保管し、二度と見ることはせずに、さまざまな写真と共に、繰り返される引っ越しの間に捨てた。

過去に味わったさまざまな身体感覚は、再会の時、きっちり体が反応を示す。

覚えている身体感覚をスムーズに取り戻すために、余分な記憶、変質した思い出は不要だ。青いPEACEのこってりとしたヤニの匂いを中指にさせて、見よう見まねに般若心経を声に出してよんでいたハタチの頃の身体感覚を、ずっと思い出すことを拒みながら、しかし忘れられないという背反を、ずっと忘れようとして生きてきた。

それが、大人になることかもしれないと思っていた。

ここ数年、自ら望んでのことだが、環境が安定しない。さらに私自体も安定しないやじろべいであるが、奥さんや家族その他の人たちの助けもあって、こころはうまくバランスを取っている。しかし、やじろべいはとっても狭い柱の上にあって、いつ落ちてもおかしくはないし、また、次の柱に移る宿命のようなものを背負いながら、肩をゆすって、ある。

やじろべいの動く断片を、写真で収めても、動いていることはとらえられないばかりか、あたかも、安定してあるような変質の仕方をして、記憶を書きかえてしまう恐れがある。写真が、怖い。

書店で、山口瞳の「血族」が、目にとまった。えぶりまん氏それぞれに過去がある。20年前、浪人中に読んで泣いた。そして、この本は私というやじろべいの芯を太くした。今読みだして、ふたたび身体が反応した。震える。読了が楽しみだ。

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# by khosok | 2016-03-12 22:39 | Comments(0)

1月末に、出身医局の集まりがあり、私の留学先での論文に賞を頂いた。システマティック・レビューにて、脳波研究について文献情報を整理したもので、単にまとめただけなので、賞を頂くのははずかしいことと思っていた。その講評で、前教授からは、「なにをやっているのか、わからない論文」とのご指摘。以前より、この前教授からは、学問を極める、学びを深めるという姿勢がなってない、換言すると、論文からは、学問が感じ取れない、もっと真剣に人のできない仕事をしろ、と言われており、今回のご指摘も、同じこと。この点、反論の余地はない。

2月には神戸で集中治療医学会にて、発表。ここでも、3つのシステマティック・レビューと、ひとつは行政のお仕事をすこし紹介させていただいた。内容を初めて聞く人にとっては、時間つぶしには面白い面はあろうはずなので、学会で発表させていただいているわけだが、いつも指導していただく先生から、「話し方が冗長で、ポイントがぼやけている」とのご指摘。内容やスライドの構成にも、それなりの問題があろうが、それ以外の部分として15枚のスライドを用いて、10分間話すときに、どのように何を伝えるかについて、あまり意識が向いていなかったことを反省。

今の職場では、私が作った資料はさまざまな初歩的なマナー違反があるようで、ことごとく修正や問題点のご指摘をいただき、勉強させていただくという日々。

ベルギーでの2年を含めた30代後半のここ数年で、私の中の自信と呼べる部分は、極めて小さくなった。

さて、「ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒」(適菜収)を読んでいた。これは、保守という概念にまつわる社会哲学および現代社会の病魔を、三島由紀夫やニーチェを引用しながら痛快に解説したもの。私は、社会や政治のことが未だぴんとこない39歳の世間知らずであるが、自分の中の保守的な部分について考えるよいきっかけになった。

私は、親から受け継がれたことや古い教えに親しむ。仏教のお勉強が好きで神社仏閣を愛する。自分のこころの根の部分や家族の過去に目を背けようとは思わない。しかし一方で、就労先、進路の選択やひとつひとつの行動は全くあまのじゃくに新奇なものへと向かっていき、そして挫折を繰り返してきた。変わらないものを続けた方がよいに決まっていると心では思いながら、2~3年の周期で、新しい場、新しい事柄を始めることになってきた。

学問に着目すれば、人は、ひとっところに居続けないと学を深められない。その一方で、新しい視点や考え方、行動様式を取り入れないと、学問に進展が生じない。この両面をうまく昇華させることができたものが、学問としての道を究めるものと言えるのだろう。

受け継がれてきたもの、保守的なものをしっかりと学ぶには、時間がいる。私は、ふらふらといろんなことに手を出して、どれも身についていない、そんな自分を恨みに思いながら、だた歳を重ねている。そして、知らない間に、正月の雑煮さえも作ることのない男に成り下がってしまった日本人、いやもはや、日本人ではないかもしれない、宙ぶらりんな日本在住の民のひとりであると自己評価し、打ちひしがれながら、ただ夢遊病的に行動している、そういう絶望的な状態、ミシマがケイコクしていたような状態に私はいると言えるだろう。

保守的なものを守りたい、そうした内省は内省。現実の失敗やいたらなさについて、反省は反省。
行動をやめるわけではない。
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# by khosok | 2016-02-19 23:17 | Comments(0)

集団ってなんだ

同門の上司であった志馬伸朗先生が8年にわたって開催した京都セプシスフォーラムが最終回ということで、参加した。穴が大きく開いてしまった場に残されものは、何を引き継いでどうしていくか、課題が多かろうと思わされた。 

京大の高倉先生が、「Abiline paradoxに陥らないならないように」というような話をされた。集団が本来でない結論に向かう例とされるものだが、なぜか大江健三郎の性的人間の冒頭を連想した。7人を乗せたジャガーが岬の崖路を湾に向かって降りていくところだ。集団が均一であれば、意見は集約しやすいが、集団が雑多であればきちんと考えないて手続きを経ないと、おかしな結論に陥ってしまう。

均一とは、なんなのか?たまたま、「命の格差は止められるか(イチロー・カワチ)」を読んでいて、はたと考え込んでしまった。この論文の要約として格差の小さな社会が、寿命が長いという。一方で、集団としての生存可能性は、多様性の高い集団集団で高まるというのが、生物学で学んできたことだ。近代資本主義社会が生んだ格差という現象と寿命というものには、著者があげる、例えば、金持ちの方が貧困層よりも健康意識が高いとかいうことは、論理的な因果関係は科学的な検証が必要なはずで、例えば、僧侶は貧困だが健康だ。多様性を認める社会とは既成事実を変える可能性が高い社会なのだ。

別に寿命が長いことが社会の究極の到達目標でもなかろうし、単なる衛生環境の良さの一つの指標にすぎない。皆が平和である、幸せである、ということを考えると、やはり仏教に立ち戻ることになってしまう。久しぶりに「法華経を読む(鎌田茂雄)」を開いた。

心が均一である社会は、幸せである。心が不均一な社会は、争いが絶えず、比べることが苦悩を生む。

泥を抜け出すには、泥を踏み、歩みを進めるしかない、という教えがあるらしい。泥に咲く蓮の花のごとくいきる。法華経の世界をしばらくあゆむ。
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# by khosok | 2016-01-29 19:03 | Comments(0)

未練がましいが

ブログ再開することにします。

扇動的で恥ずかしい限りです。しかし、今まで続けてきた何かを表現するという行為は、やはりこのブログの中で、続けていきたいと思い直しました。いろいろと恥ずかしい過去もありますが、過去と断絶して一からのスタートをきるなどできないです。さらに言うと、バーチャルの世界でも、一つの人格としてあることを失うことが、許せなった。

実は、このブログの裏で、数個の匿名ブログを動かしていました。しかし、続けられないのです、匿名というのがすごく気持ち悪くなるのです。

矛盾するようですが、トップ画面には、名前は書きません。
また、個人が特定しずらいように記載には今後も配慮し続けます。
が、過去との断絶は、しません。FxxBxxとtwixxterとはリンクさせます。

このブログで、これからも、月に数回の発言をしていきたいと思います。


さて、ブログの今後の記載内容ですが、基本的に、仕事のことは書きません。医療行政や医療システムに対する提言や批判もしません。愚痴も言いません。ただ、日々の思いを書きます。日常を描きます。梅が強く咲く冬を書きます。仏教のお勉強で学んだことを書きます。細々とつづけている趣味でつづけている研究についても書くかもしれません。

ここにお立ち寄りになれば、みにくい男が身の丈に合わない衣を苦しそうに切る姿がみられるでしょう。40の手前になって世間の波しぶきをあびて乾かぬ裾をまた濡らすような不器用な生きざまがみられるでしょう。それが、私です。

今後とも、どうぞ、ごひいきに。


平成28年1月中旬 土曜 新幹線の中
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# by khosok | 2016-01-16 13:38 | Comments(1)

ブログ終了宣言

本年を持ちまして、このブログは終了させていただくことにしました。

医師4年目に科の若手を集めた勉強会を記録するために始めたブログでしたが、職場が変わるに従って、個人的なブログになっていきました。地域医療の現場では、地域で働く医師の苦悩と夢のようなものを率直に書き連ねました。ベルギーに行っている間は、目的が定まらず、いい加減な記載になってしまいました。現在、職も変わって、実名でのブログを書くことに抵抗感もあるため、ブログは書くことができずにいました。

今まで、お読みいただけた皆さま、ありがとうございました。またどこかでお会いできることを楽しみにしております。

平成二七年一二月二十三日 大安



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# by khosok | 2015-12-23 21:45 | Comments(0)