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ともぐい

「ともぐい(河崎秋子)」を読んだ。すごかった。生きる実感を感じた。
力強く人らしく生きていたい、そう感じた。

人の世で生きるのが人の性だ。ただ純粋に本来は人も含めて動物は何かを殺し食らう。
殺し合うその時、目と目が合い、お互いの生を確認する。
殺し合うことが生の確認だ。のんきに草でもはんでいるような生でも、死を前にして挑んでくる殺ろし生き残る側の生を実感して、自分が生きている実感が生まれる。生き延びた実感か、殺されゆく実感か、いずれも、生の実感だ。
いろんな感情が入り混じって、濃厚な生と生をぶつけあうことで、お互いの死を確認することで、その反動としての生がある。

この本の最後は、しみじみする。「熔ける」の井川意高さんがyoutubeで言っていたが、人間なんて、死んだらただの生ごみ、確かにそうなんだが、すさまじい生と生の戦いのことなど、そこにあった死の確認が、全くの無意味なものではなく何かの痕跡によりその生とその周囲をしみじみと感じる。その想像が、自分の生を確かなものとして肯定する。

たまたま歎異抄の解説本「「歎異抄」講義(阿満利麿)」を読んでおり、自己中心の尺度を振り回して生きているが、それでは生ききれないことがおこったとき、自分中心の尺度に気づくことを「回心」という一節に立ち止まっており、世界から自分をみることができるようになること、視点が180度変わることが回心だという。

すさまじい経験の中で視点をこちらとあちらの両方に置くことで、より濃密な経験となることが、殺し殺される者同士が見つめあう最期の瞬間で理解できる。これが生きるということなのだと深くおもう。

# by khosok | 2024-01-24 22:51 | Trackback | Comments(0)