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多様性についての幻滅

組織としての多様性はその組織を強くすると手の話は、よくビジネス書や人生の指南書のようなものに書かれており、自分自身その多様性を愛している。

・40-50代で仕事に疲れ離職後には失業保険を奨学金に変換して大学で学びなおすことができる、これが社会の多様性と強さを生む
・組織は職員を強制的に1カ月の休暇を取らせるが、その期間に海外ボランティアを行うことがその組織の通例になっており、多職種・多国籍の連携の一助になる
・医師にとって集中治療部や救急部はいろんな科の出身の医師が共同して診療する部門であり、多様な知識背景はこの部門の強みである

この手の話の例はさまざまに語られきりがない。一方で、個人に目を転じると、ある個人が多様な部署・部門で働いていることがその個人の強みなのかについて、私としては幻滅している。

私個人は、30代は、そうした多様性の学習に費やしたといってよい。地方の病院で若い麻酔科部長をしていた、そして、海外にくらした、中央官庁で働いた、結局はそれだけのことだが、同じ10年を一つの組織でしっかり地力をつけている人がいるわけで、その人には勝てるはずもない。そして、今となっては、その部署に属さないと、その部署のことが分からないわけでもなく、相談や交渉を深めていけば、その部署のやり方や思考回路が外部からも見えてくるということだってある。また、その部署に属して見習い的に多少その部署のお作法を知れたからと言って、その部署を牛耳れるとか外部からその部署に作用することができるはずもないのだ。

硬直した組織が流動性を失ってさまざまな弊害を持つということと、多様性を許容する組織であるということと、多様性がその組織の強みなっているということと、すべてそれぞれ意味が違う。だから、幻滅した個人が、その組織の中でなにをできるのか、そして、幻滅を肯定的にとらえてまた前に進む、そういう活力が、結局は必要なんだ。

この週末学会の運営のお手伝いをして、いろいろな方と知り合え、そして、強く刺激的な話を聞いたりもできた。そして、幻滅しながら前に歩くということに、まま、緩やかに向かっている自分がある。

by khosok | 2018-10-16 08:25 | Trackback | Comments(0)

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