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むくげ

むせかえる梅雨の合間には、むくげが似合う。

暗殺(柴田哲孝)を読んだ(7月8日読了)。フィクションという。確かにわれわれの実生活からは遠く離れたところにある物語だ・・・そこには、道端に咲く花や自然物が混じらない世界が展開されていた。ひとの作った社会を熱心に描く意味で余分なものは排除されている。

ふと空を見ると真っ赤な太陽が稜線にゆっくりと落ちていくとか、いつもは目にとめないキキョウの紫がなぜかものがなしいとか、そういうことが、殺伐とした人間社会と会社のようなものの中で生きていると、こころをいやすものなのだが。

山極寿一さんが論説を書かれていた(7月7日)。コンゴの熱帯雨林の地元の民の密林の中でのナビゲーション力に驚かされたと。ジャングルでは、高いところに登っても何もわからない。地面を見て、ゴリラの通った跡をたどり、蜂の巣を見つけると密を得る。注意を森全体に張り巡らせ、頭痛に効く葉っぱをつまむ。

会社であれ、イデオロギーみたいなものがあるところにいは、必ずと闘争がある。そして権力のようなものが形成される。権力のあるものが権力に無自覚となり、支配者の風となる。それで秩序が生まれる。

山に行こう。森を歩こう。なぜだろう、毎日歩けば昨日は見えなかったものが見えるようになる。昨年は気が付かなったコスモスの色に今年は気づく。また昨年とおなじように麦が実る。真っ暗な駐車場の空に登るオリオン座が太古の昔の神話を想像させる。そうやって、ひとという生き物はなんと複雑な社会を構成してしまったものだろうかと、悲しい。

そうだ、悲しさと槿(むくげ)も、連動していると思うのは、私にまとわりついた年長者たちの想像力に起因するが、ただ直感的にもむくげのなかにはすこし悲しく災いに関係していそうな色のものもあると思う。これは、おいしいと思うとかいう直感と同じ感覚なので逃げも避けもできない・・・

# by khosok | 2024-07-09 09:30 | Trackback | Comments(0)